【近世城郭➀】明石城(播磨)
西国大名への備え、明石城
明石城は、大坂の陣で武功のあった小笠原忠政が信州松本から10万石で入り、徳川秀忠の命により、西国の抑え城として築城しました。それまで明石の中心地は明石川を渡って西側南部にあった船上城のあった付近。秀吉の時代には高山右近が治め、キリシタンも多かったと言います。いまも周辺にはお寺や城であったことを想像させる地名が多く残っています。
明石城築城に当たっては、その船上城やさらに前まで明石氏がいた枝吉城、三木城、高砂城など周辺の城から建築資材を集め、再利用された。坤櫓は伏見城、巽櫓は船上城天守の移築と伝わります。明石城は西の明石川を天然堀、北は大きな池、南は明石の港を防衛施設としていました。城内には、宮本武蔵を迎えて造らせた庭園があります。
小笠原家が築城後すぐ豊前小倉に転封となり、その後戸田、大久保、松平などいくつも城主が短期間で変わりますが、越前松平氏が入ってからは、明治維新までこの地を治めました。
1/800スケールで再現
今回、明石城で開催される「明石城祭り」への出展を目標に、急遽製作いたしました。
城郭研究者の三宅氏による現地での測量および縄張り調査、そしてジオラマ化するにあたる制作範囲の策定、データ製作まで実施。
本丸と二の丸および稲荷曲輪までの範囲を模型化いたしました。