【山城No.8】竹田城(但馬)*完成&販売開始
竹田城の歴史
竹田城は但馬の国・和田山の虎臥山にある山城。播磨・丹波に通じる要衝の地にある。立派な石垣がしっかり残っており、いまでは「雲海の城」として観光客や写真家の集まるスポットとして有名となっている。
山名宗全が築城
竹田城の歴史については不明なところもあるが、一般的には但馬守護で室町幕府の四職の一角・山名宗全が播磨の赤松氏への対策として築城し、山名四天王と言われる太田垣光景が城主として入ったと伝わる。
現在の南北約400m、東西約100mにおよぶ巨大な縄張りと高い石垣は近世城郭として残った最後の姿。
織田家 vs 毛利家の狭間で
その後、応仁の乱や尼子・毛利・山名といった山陰の戦国大名が争った乱世の間、山名家と太田垣氏がこの城を守り続けている。ある時、丹波の赤鬼・赤井(荻野)直正が竹田城を占拠するに至り、山名家は織田信長に援軍を求める。直正は丹波・黒井城へ引き上げるが、信長は丹波に明智光秀、播磨に羽柴秀吉を派遣し、西への進行を開始する。
毛利家との対立が深まっていく中で、竹田城は秀吉の弟・秀長に攻められ降伏し、配下の桑山重晴や斎村政広(赤松広秀)が最後の城主となり、現在の城が完成した。
普請の進捗
製作物の仕様
城名:竹田城(但馬)
城主:山名氏、太田垣氏、赤松氏(室町幕府四職、守護職)など
<仕様>
・地形(土台)および建物はオールプラスチック製。
・地表面はカラーサンド仕上げ。
・サイズ: 1/800 (横幅363mm 奥ゆき396mm 高さ71mm)
・建造物:竹田城専用建物群
・使用素材:パウダー、液体ボンド、サーフェイサー、フォーリッジなど各種ジオラマ素材
築城に当たっては、現地調査およびその他城郭関連情報を元に城郭専門家が縄張り・建物を復元。ただし、現在立ち入り禁止エリアもあるので、その部分については推定の個所もあります。
縄張り3Dデータ
ギャラリー
*「竹田城 現状バージョン」(石垣のみ)はこちら。
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